先週金曜日から公開されました映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
ツイッターの公式アカウントで「ラスト21分、熱い涙が……」と書いてあるのを見て、もし泣けなかったらどうしようとか余計な心配をしてしまうのは私だけでしょうか。
実際の私は映画を観終わったあと、売店でパンフレットを購入するときに「ボヘミアン・ラプソディのパンフレットください」という声も震えていて、お釣りも震えて落としてしまうぐらいでした。
涙がでてきたのは、数十分後。
お昼の広島産牡蠣ドリアを食べながらでした。
どうやら心を揺さぶられすぎて、涙を流すのを忘れていたようです。
何がそんなに私の心を震わせたのか?自分なりに考えてみました。
Contents
QUEENについて、映画を観る前に私が知っていたこと
中学・高校生のときは、よく洋楽を聞いていたのでQUEENというバンド名は聞いていたものの。実際に彼らのCDを購入したりということはありませんでした。
ただ、CMなどで曲が使われていたからか I Was Born To Love Youや We Will Rock You、 Somebody To Loveなど数曲はサビの部分だけ知っていました。
QUEENのボーカルであるフレディ・マーキュリーの映画が上映されることを知り、まずは彼らの曲を聞いてみようと。
なぜなら、音楽の好みは人それぞれ。ですから、あまり自分が得意そうでない音楽が流れてくるのならば映画に集中できそうにないかな、と思いまして。
初めて購入したのが『Jewels』。
このアルバムを聞いて、自分が勝手に抱いていたイメージと違いとても好きな曲が多かったので、これは映画を見てみよう!と。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』について
主な登場人物
役 名 | 俳 優 | 役どころ |
フレディ・マーキュリー | ラミ・マレック | 物語の主人公。QUEENというバンドのヴォーカリスト |
ロジャー・テイラー | ベン・ハーディ | QUEENというバンドのドラム担当 |
ブライアン・メイ | グウィリム・リー | QUEENというバンドギター担当 |
ジョン・ディーコン | ジョー・マッゼロ | QUEENというバンドベース担当 |
メアリー・オースティン | ルーシー・ボイントン | フレディ・マーキュリーの恋人 |
ジム・ビーチ | トム・ホランダー | 音楽専門の弁護士、のちにQUEENのマネージャー |
ポール・プレンター | アレン・リーチ | フレディ・マーキュリーの個人マネージャー |
弁護士役のトム・ホランダーさんは私が先日感想を書いた映画『チューリップ・フィーバー』に医師役で登場した俳優さんでした。
『ボヘミアン・ラプソディ』でも『チューリップ・フィーバー』でも印象的な方だなぁ。
またフレディ・マーキュリーの個人マネージャー役を演じたアレン・リーチさんはドラマ『ダウントン・アビー』でトム・ブランソンという役を演じていましたね。ブランソンは三姉妹が住むお屋敷の運転手さんで。私は、その三姉妹の末っ子が大好きで、って話がそれました。
あらすじ
イギリスのロックバンドQUEENのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの人生に焦点をあてた作品。
QUEENが誕生し彼らが成功していくまでの道のり、曲の作り方、仲間同士の関係、フレディ・マーキュリーの苦悩が描かれています。
1970年のロンドン。自分で詞を書けることそして歌えることをアピールし、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンドに加入したフレディ。
バンド名をQUEENとし4人で活動を始め、アルバムを作ったことがきっかけでデビューへの足がかりを掴む。
フレディは恋人のメアリーの支えもあり、ラジオ、テレビ、ライブと順調に音楽活動を続けていくはずだったが……。
映画のオススメポイント
QUEENのメンバーが音楽を監修
QUEENのメンバーである、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、そして映画で流れる曲は主にフレディ・マーキュリー自身の歌声を使用している、ということを映画を見終わってから知りました。
本家による監修、そして次の項目でも触れますがメイさんとテイラーさん自ら役者さんへ楽器指導もされたと知り、ますますQUEENの真の姿に近いんだなと思いました。
衣装や動きにも注目
映画を観る前は、なるべく公式ホームページを見ないようにしている派です。
なぜなら、何をネタバレと感じるか自分でも分からないもので。
映画鑑賞後に公式ホームページを見ていて、2つの動画の存在を知りました。
・メイキング映像「クイーンになるまで」
・メイキング映像「フレディになるまで」
※ ネタバレはありませんが、映画のシーンがでてきますので未見の方はご注意ください。
いかに俳優さんたちが実在の人物たちに迫ろうとしていたか、その努力の一端が垣間見えました。
QUEENのファンの方々からすると、自分たちの好きなQUEENがどのぐらい再現できているのか、というのが楽しみであり不安でもあるというツイートを見かけました。
確かに、自分が好きだった歌手の映画ができたとしたら、やはり感情を込めて見られるかどうかというのは大きなポイントなのではないかと。
恐らく演じる役者さんたち(特にQUEENのメンバーを演じた方々)は相当苦労されたんだろうなぁと思いました。
パンフレット
映画を通してQUEENというバンド、フレディ・マーキュリーという人物の一端を知ることになった完全にQUEEN初心者の私には、この映画のパンフレットは映画のことだけでなく、バンドについても知ることができて大満足です。
来日時にQUEENを警備していた方の話や、QUEENトリビアなども載っています。
そんなに何度も来日していたなんて、まったく気づいていなかったあの頃。もったいない。
当然といえば当然ですがQUEENの曲がいい
映画にでてくる曲は、どれもこれも印象的で。
サウンドトラックが欲しくなります。
映画の最初に流れる20th Century Fox Fanfareはブライアン・メイとロジャー・テイラーが演奏したというのも心憎い演出だし、フレディと観客のやりとりAy-Ohが入っているのも心が揺れます。
映画では、曲が作られていく過程のエピソードも入っていて興味深かったです。
猫が可愛い
フレディ・マーキュリーは愛猫家として有名だったそうで。映画のなかで、数秒ではありますが何回か猫たちの出番があり、これがまた絶妙に可愛いのです。
フレディ・マーキュリーが猫のデライラのために作ったという曲『Delilah』。YouTubeで公式アカウントさんが曲をアップしているので興味のある方は探してみてくださいませ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』ネタバレ感想
才能とは
まず、一番最初に思ったのは「ずば抜けた才能というのは本人も周囲も幸せにするものであると同時に、その強力なエネルギーは活かし方、そして周囲の人間によっていとも簡単に別の方向へと引っ張られてしまうのかな」ということ。
QUEENのメンバーから「君たち似てきたな」と言われ、そのうちあまりにも一緒にいることが多くて「1人とは珍しいなクローンはどうした?」と言われるまでの存在になったポール・プレンター。
ポールさえいなければ、フレディの人生はもっと変わっていたのかもしれないのに、なんてまったく面識のないポールに八つ当たりしたい気分でした。挙げ句に、フレディのプライベートをマスコミに売るとはなんという人間!!でも、映画のなかでフレディは自分が悪かった、と。自分のすることを非難せず、チヤホヤしてくれる人というのはやはり誰だって悪い気はしないと思うし。
きっとフレディ自身も、ポールは自分を本当には大切にしてくれていないということを薄々感じていたからこそ、メアリーからはっきりと「ポールはあなたのことを気にかけていない」と言われたことで、自覚せざるを得なかったのかな、と。
でも、ポールじゃなくても、もしかしたら別の人がそのポジションにおさまっていただけで状況は変わらなかったのかもしれない。フレディのなかにある、満たされない思いを分かってくれる人に出会うまでは同じことをしていたのかもしれないな、と。
傍目から見れば、すごい才能を持っている人は一般の人間が抱えるような悩みもなく生きているように思えていても、やはり名声やお金だけでは手に入らないものがあるんだな、と。
そこが制作の発想の源にもなっているかもしれないと妄想してみたり。フレディの場合は自分の居場所に関する枯渇感ともいいましょうか。はい、すみません、昨日今日のにわかファンなのに、偉そうにすみません。
フレディの抱えるコンプレックス
自分の生まれや容姿にコンプレックスを抱いていたフレディ。自分のルーツが分かるような本名に別れを告げ、自宅に招待できるバンド仲間ができ、自分の好きな音楽で独り立ちできる喜びとともに、どこか父親のいう「善い思い、良い言葉、善い行動」(だったかな)ができていないんじゃないか、父親に認められていないという寂しさ。
なので、最後にライブ・エイドに出演するといったときにお父さんからハグされたのは本当に嬉しかっただろうな、誇らしかったんだろうな、と。
決して本当の家族と仲が悪かったわけではないと思うのですが(映画の中でも、大切な人ができると家族に紹介しているし)期待されている子ども像とはかけ離れている自分に対しての引け目のようなものだったんだろうか、と勝手に思ったりしました。
また「過剰歯だから口のなかが大きく音域が広いんだ」というようなセリフがありました。なので、見た目的にはコンプレックスだったのかもしれませんが、音楽をやる上では彼は自分の強みだと思っていたのかな、と。ヒゲを生やした理由は分かりませんが、もしかしたら、もしかすると、そのコンプレックスを少しでも隠したいという彼の思いもあったのかしら?とか。
仲間との関係性
QUEENは4人全員が作詞作曲できることが強みでもあり、のちのちそれがフレディのソロ活動へとつながってしまったのかな、と。
農場でアルバム制作を手がけるシーンで「ロジャー・テイラーの書いた歌詞が弱い」とブライアン・メイとジョン・ディーコンがロジャーを”口撃”するシーン。そのときはフレディが仲裁に入るのですが。
のちのち、何年も今回は誰の曲を入れるのか、印税の配分は、などメンバー同士で決めなきゃいけないことに対して不満を持っていたというフレディ。
そして、アルバムを出してはツアーをして、またアルバムを出しては……という繰り返しに飽き飽きしたというフレディ。
バンドというのは、そういうものだと諭したメンバーに対して「もっと自分は成長をしたい」と。そういう前々からの不満から、余計にソロ活動への思いが強くなったように描かれていました。決してお金のためではなかったんじゃないかな、と。
なぜなら、一番最初にソロへの誘いが来ていると話を聞いたときフレディは激怒して、ソロの話も持ち込んだマネージャーを即座に首にしてしまったという。「QUEENを解散しろというのか?自分たちは家族なんだ」といって。
晴れて?フレディはソロ活動を初めたものの、自分がやることに対して誰も意見を言わない(フレディに物申すなんてことができる人、なかなかいないと思いますが)、演奏者たちは自分の思ったとおりに演奏できないということに直面し、初めてQUEENのメンバーの凄さが分かった、というフレディ。
自分のせいでQUEENの活動が止まることになり、メンバーに許してもらえるか分からないけれど、せめて話だけさせて欲しいとマネージャーのマイアミもといジム・ビーチに電話するシーン。
そこで「母艦に戻りたいんだ」って言うんですよね。そのシーンが好きなんです。
結局、そのときから曲は誰が作ってもQUEEN名義とし、印税は等分にするというルールができたようで。お互い、家族のような感じだから言い出しづらかったお金の話を、スタッフの誰かがもっと早く解決してくれていたら……なんて。どれもこれも、あとから言えることであって。当時は難しかったんだろうな、と。
ただ、一貫してQUEENの絆の深さは根っこの部分では変わらず、そこに他人(ポールとか、ポールとか、ポールとか)が入ることで崩れてしまった、と。
フレディを満たすもの
フレディがQUEENが売れる前から支えてくれていたメアリーを愛していたのは、終生変わらなかったのかな、と。何度も何度も「君は運命の人だ。側にいて欲しい」って頼むんですよね。
メアリーからするとフレディは恋人であり、いつか家族を作りたいという意味で受け取っていたし、プロポーズも受けたのに。
フレディのなかでは、生まれたときからの家族みたいな感覚の愛で。うーん、そりゃメアリーも辛いよなぁ、と。しかも隣の家に引っ越してきて、しょっちゅう電話かけられても。
おまけに今付き合っている彼の子を「妊娠してる」と言ったら「なんてこと!」とか口走るフレディ。
友人として祝福するどころか、すごい動揺。でもメアリーは家族として、ポールのことを忠告してくれるメアリー。優しい。
ラスト付近でライブ・エイドを舞台の袖から見守るメアリーの旦那様(たぶん。子供ができたとメアリーが言ったあとだから結婚してるのかな、と判断)、メアリー、そしてフレディの最期まで看取ったという恋人のジム・ハットン。
インターネットで検索して出てくるハットンさんの写真、どれもすごく穏やかで優しそうな感じの方でした。
ラストシーンについて
映画も終盤にさしかかり、ふとよぎるのは「映画は、どこまで表現するのだろうか」ということ。フレディが亡くなるところだろうか、と。
最後は、”母艦”への帰還を許された(というか、メンバーは許すも許さないもない、家族だからという感じのようでしたが)フレディが、残された時間のなかで最高のパフォーマンスをやろうという思いで挑んだライブ・エイド。
あれですよね、QUEENファンの方なら「ラスト21分」という謳い文句で、「あ、ライブ・エイドのシーンだな」って分かっちゃいますよね。
特にセリフはなく、ただただライブの様子が流れるラスト。テンポの良いリズムに足踏みや拍手をしたくなりつつも、歌詞には死を感じさせるものもあって、どういう心境でフレディは歌っていたんだろう、メンバーはどんな思いだったんだろうと。
メンバーが結束し、最高のパフォーマンスを見せた場面で映画が終了したことで、よりフレディのその後が印象付けられた感じがしました。
ライブ・エイドでの実際の曲順は、下記の通りだったそうです。
- Bohemian Rhapsody
- Radio Ga Ga
- Hammer To Fall
- Crazy Little Thing Called Love
- We Will Rock You
- We Are The Champions
映画ではCrazy Little Thing Called Loveのシーンはなかった、かな?
上の記事によると、We Will Rock Youもなかったそうで!
他の場面にあったのと、ごっちゃになっていたみたいです。
ライブシーンが終わるとDon’t Stop Me Nowが流れ初め、ハットンはフレディが亡くなるまで側にいて支え続け、メアリーも友人として側にいたことが実際の写真とともにスクリーンに。
最期に彼は心から欲しかった家族、愛する人に囲まれていたんだな、と。
沢山の関係者の名前が流れつづけるエンドロール。Don’t Stop Me Nowが終わり……そして続くはThe Show Must Go On。この流れ。すごすぎる。
私、この曲が大好きでして。和訳を探していたときに、この曲を録音するときにフレディは相当体調が悪かった、ということを知りました。録音は無理かと思われるほどだったけれど、本人が乗り切った、と。歌詞の内容とフレディの心境が重なるような感じで、聞いていても胸がつまります。
ちょっと事実とは違うところ?
もちろん映画なので、実際のエピソードとは違うことがあるのは承知の上で。ここは実際とは違うのかな?という部分を3点。
1.フレディ・マーキュリーがソロ活動にサインをしたことでメンバー内に亀裂が入ったように映画では描かれていましたが、「1983年には各自ソロ活動に専念した」とWikipediaのQUEENの項目に書かれていました。つまりフレディだけがソロ活動をしていたわけではないのだな、と。
2.ジム・ハットンのことは名前しか情報がなくて、住所録からハットンの居場所を探し当てるシーンがありましたけど。あれは映画上の演出ということでいいのかしら?実際は、フレディとハットンはバーで出会ったとか。
こちらの本に書いてあるというのですが、私自身は未読なので確証はとれておりません。
3.映画では1985年に行われたライブ・エイドの前に自身がエイズということをフレディが知ったことになっていますが、Wikipediaですと1987年に病気だと知ったという記載が……。ラストシーンの感じが、ちょっと変わってくるけれど。映画は映画として、あのラストで良かったなと個人的に思いました。
『ボヘミアン・ラプソディ』を観て思い出した映画
才能に関する映画は、いくつもありますが。
今回、『ボヘミアン・ラプソディ』を観ていて思い出したのはデザイナーのイブ・サンローランを描いた作品『イヴ・サンローラン』です。
長年にわたりイブ・サンローランを公私にわたりサポートしたピエール・ベルジェ氏が「まさに本人に生き写し」と称したというピエール・ニネの演技。
イブ・サンローランはデザイナーとして制作し続けることへの責任、プレッシャーからアルコールやドラッグに現実逃避することもあった姿がフレディとも重なります。
まとめ
あくまで映画であって、完全に実際の出来事と一致しているわけではないと思いつつも。やはり、QUEENというバンド、そしてバンドを自分の大切な居場所であり家族のように思っていたフレディ・マーキュリーという人の思いを知れたこと。
なによりQUEENというバンドの曲の素晴らしさを、こんなにも感じさせてくれた映画を観られて良かったな、と思っています。
もうフレディの歌声を生で聞くことは叶いませんが、QUEENの現役メンバーも協力したQUEENの姿、興味ある方はぜひ映画館で観ることをオススメします。
今まで応援上映というものに行ったことがないのですが、この作品なら行ってみたいと思うほどでした。