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東京都美術館で開催中の【クリムト展】へ行った感想と購入したグッズについて

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

東京都美術館で開催中の【クリムト展 ウィーンと日本1900】へ行ってきました。実物を見るまで自分がどんな感想を持つか想像もつきませんでしたが、行ってよかった見てよかった、と思っています。

興味のある方は国立新美術館の【ウィーン・モダン展】とあわせて見ていただくと、より楽しめるのではないかと思い、ウィーン・モダン展で見られるクリムト関係の作品についても最後に書きました。

ウィーン・モダン展の感想については、こちらに書きました。

 

 

展示内容

私の中では、勝手ながらクリムトは寡作なイメージがあったものですから完成作の少なさにビックリ。約200作品のうち、67作品ぐらいしか完成品がないなんて。ということは今の時点で、かなりの完成品が来日中ということですね!

Chapter1. クリムトとその家族


この写真が絵はがきになって特設ショップに登場していました。購入しようか迷って、結局やめてしまったのですが。もう入手できる機会もないかもしれないなぁ、と今さら後悔しています。

 

クリムトの弟であるとエルンストと、クリムトの生涯のパートナーと言われているエミーリエ・フレーゲのお姉さんが結婚し、生まれた子がヘレーネとのこと。1891年に結婚し、1892年には弟さんが死去してしまうなんて……。クリムトはヘレーネの後見人になっていたそうです。この絵は、本当に愛らしく。思わず髪の毛に触れたくなるほどの質感でした。

ふと、同じような女の子をどこかで見たような気になりました。
2015年に東京藝術大学大学美術館で開催された【ヘレン・シャルフベック展】で見た少女でした。

クリムトとシャルフベックの絵はがき

左がシャルフベックの『少女の頭部』1886年の作品。
右がクリムトの『ヘレーネ・クリムトの肖像』1898年の作品。

 

そして、もう1つ似ているなぁと感じた作品。

   
左がシャルフベックの自画像で1915年の作品。
右がクリムトの『白い服の女』1917−1918年の作品。

あれ。思っていたより、そんなに似てなかったかな。けれども、どちらも若い頃の作品は精密で、まさにそこにあるようなリアルさを感じたのですが。ふたりとも50代になってきて、いかに少ない色と線で表現できるかという感じになってきたのかな、とか。もう私の勝手な妄想でしかありませんが。

 

クリムトと家族たちに関する簡単な年表

西暦 クリムトの
大体の年齢
出来事/作品
1860 クリムトの姉・クララ誕生(子供の頃から鬱病を患う)
1862 0 クリムト誕生
1864 2 弟・エルンスト誕生
1865 3 妹・ヘルミーネ誕生(のちに一家を切り盛りする。クララとヘルミーネは実家にて生涯を過ごす)
1867 5 弟・ゲオルク誕生
1869 7 妹・アンナ誕生
1873 11 妹・ヨハンナ(のちに結婚し実家を離れる)
1874 12 妹のアンナが5歳で亡くなり、母親が鬱病を患う
1876 14 ウィーンの工芸美術学校で素描・絵画を学びだす
1877 15 弟・エルンストも工芸美術学校で学び始める
1879 17 装飾絵画の上級過程へ進む

弟・エルンスト、友人フランツ・マッチュと共同で美術やデザインの請負を始める(このときは、絵の先生たちが受けていた注文制作を手伝う形だったようです)

1880 18 『レース襟をつけた少女の肖像』
Chapter2にて展示
1881/1882 19/20 森の奥
Chapter2にて展示
1883 21 工芸美術学校を卒業
クリムト兄弟とフランツ・マッチュで”芸術家カンパニー”の共同経営
1884 22 ハンス・マカルト死去
1884/1885 22/23 カールスバート市立劇場の緞帳のためのデザイン
Chapter2にて展示
1890 28 ウィーン美術史美術館の壁面装飾(下絵
Chapter2にて展示
1891 29 弟・エルンスト結婚
1892 30 7月に父が脳卒中で亡くなる。12月にエルンストが心膜炎にて死去。エルンストの娘・ヘレーネの後見人になる。
1895頃 33頃 紫色のスカーフの婦人
Chapter2にて展示
1897 35 仲間たちとウィーン分離派を結成。1899年まで会長を務める。
1898 36 ヘレーネ・クリムトの肖像
Chapter1にて展示
雨後(鶏のいるザンクト・アガータの庭)
Chapter6にて展示『パラス・アテナ
※ウィーン・モダン展にて展示中
1899 37 7月と9月に息子が生まれる(このことで罪悪感と鬱に苦しむ)

ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)
Chapter5にて展示

1901 39 ユディトⅠ
Chapter5にて展示
1901-1902 39
40
ベートーヴェン・フリーズ
Chapter5にて原寸大複製展示
1902 40 クリムトにとって3番めの息子が誕生するものの、81日後に死去
1905 43 女の三世代
Chapter8にて展示分離派脱退
1907 45 女ともだちⅠ(姉妹たち)
Chapter4にて展示
1909/1910 47/48 アッター湖畔のカンマー城Ⅲ
Chapter6にて展示
1909/1910 47/48 家族
Chapter8にて展示
1911 49 アトリエ前で猫を抱いた写真を撮る
1912 50 4番目の息子が誕生
1913/1914 51/52 オイゲニア・プリマフェージの肖像
Chapter7にて展示
1915 53 母が死去
6番目の息子が誕生
1917 54 赤子(ゆりかご)
Chapter4にて展示
1917-1918 54-55 白い服の女
Chapter7にて展示
1918 55 2月 ウィーンにて死去
1935 妹・ヘルミーネ死去
1937 姉・クララ死去

クリムトのお母さんが、娘さんの一人を幼くして亡くし心を病んでしまったという説明を読んでいて、ギュスターヴ・モローのことを思い出しました。

【ギュスターヴ・モロー】展をパナソニック汐留美術館で見てきました

モローの妹さんも13歳で亡くなってしまい、そのことがモローとお母さんの絆をますます強めることになった、と説明がありました。
嘆き悲しむ母親の姿に、モローもクリムトも、自分がついて支えてあげたいという気持ちになったんだろうか……と。そして、両者ともファム・ファタルを主題に絵を描いたというのもなんだか不思議な共通点があるような。

そして、クリムトは結婚していないけれど子供が沢山いた、官能的な絵を描く人、つまりクリムトは色男という短絡的な捉え方をしていた自分が恥ずかしくなりました。
確かにそれは、彼の一部分ではあるけれど。けれど、彼の生い立ちを考えると家族の病気や突然の死を経験したことで、自分も同じ様になるのではないかという恐怖が常にあっただろうし、だからこその刹那的な感じであり、快楽的な感じであり、生まれては死んでいく循環であり、家族の生活を支えなくてはいけないという責任感と、たとえ自分の好きな絵でなくても注文に応じていかなければならなかったこともあっただろうし。

彼の描く作品は、官能的であり、でもどこかに仄暗さを感じたのは、なるほど、そういう生い立ちも関係しているんだろうか、と思うのでした。

Chapter2. 修行時代と劇場装飾

昨年、ウィーン美術史美術館内のクリムトの描いた壁画を間近で見られる機会があったそうです。羨ましいなぁ。

こちらに、そのときの様子が紹介されています。

 

Chapter4. ウィーンと日本

Chapter5. ウィーン分離派

今回のクリムト展の顔とでもいうべき『ユディトⅠ』。想像以上の美しさでした。額縁を含めて、その美しさ眩さにクラクラ。

『ユディトⅠ』はⅠというぐらいだから、Ⅱはどのような作品かとウィキペディアを見てみたら……あまりにもⅠと違う雰囲気だったもので驚きました。

 

『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』は、その大きさにびっくり。

この章では、何点かウィーン分離派展のポスターが展示されていまして。そのなかに『第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)』というものがあります。
皆さん、「検閲前もあるの??」と仰ってましたが、その謎は図録で解けますので。また、実物は国立新美術館で開催中の【ウィーン・モダン展】で見られます!!

 

ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製)

 

本当に失礼ながら、展覧会場で見るまでは(まぁ、複製だからサッと見ればいいかな)と。ところが、実際にその大きさと、その精巧な複製ぶりにびっくり。
絵だけでなく、実際と同じくガラスや真珠母貝まで埋め込まれているというではありませんか。

1902年の展覧会のためにクリムトにより作成されたこの壁画は、展覧会終了時に解体される予定だったとか。ところが収集家によって買い取られていたこと、のちにオーストリア政府によって買い上げられたことで、現在は元の場所に戻されて展示されている、と。

この原寸大複製は、壁画が修復されたときにオーストリア政府によって作られた複製だそうです。ちょっとした複製ではなく、本気の複製でした。大変失礼しました。ただ、期待値が低すぎたおかげで、展示室ではその美しさに圧倒され、じっくりじっくり何周もしつつ見ておりました。

 

Chapter6. 風景画

Chapter7. 肖像画

Chapter8. 生命の円環


この作品の写真を見たときに、正直見るのがつらいかなぁ、と。自分の行く末が描かれているような老いた女性の姿があまりにも強烈で。

実際に見てみると、可愛らしい子どもの姿、愛おしいようにその子を抱く女性、そしてあまりにもリアルに描かれた血管、悲観しているように首をがっくりと落とす女性。この対比が、あまりにもあまりにも、と思ったものの。描きこまれた図形や、色合いを見て、また全体を見て、個々の人物を見ていく、ということを繰り返しているうちに最初の「うーん」という気持ちが不思議と薄れていきました。

老いは誰にでも避けようのないもので。クリムトは家族の病気や死を通して、自分もそうなるのじゃないかという心配も抱えていたそうで。でも、どこかに死の先にあるそういった心配からの解放的なものも、どこか感じていたんだろうか。そんなことを考えつつ見ていました。

購入したもの


グッズを購入したら、このビニール袋に入れてくれました。くっしゃくしゃですみません。

絵はがきは、こちらの紙袋に入れてくれました。

絵はがき

通常タイプの絵はがき

クリムト展の絵はがき『ヘレーネ・クリムトの肖像』

 

クリムト展の絵はがき『イザベラ・デステ(ティツィアーノの模写)』

 

クリムト展の絵はがき『ベートーヴェン・フリーズ(部分)』

 

クリムト展の絵はがき『ベートーヴェン・フリーズ(部分)』

 

クリムト展の絵はがき『「医学」のための習作』

 

クリムト展の絵はがき『17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像』

 

クリムト展の絵はがき『葉叢の前の少女』

 

縦長版絵はがき

クリムト展の絵はがき『ユディトⅠ』

 

四角い絵はがき

 

クリムト展の絵はがき『女の三世代』

 

 

マグネット

クリムト展で購入したマグネット
約4センチ✕8.3センチです。よくぞ、額縁まで含めてマグネットにしてくださった!と。
この作品は、額縁までもが美しかったです。

A4ダブルクリアファイル

全部で11種類ありまして、すごい悩んで、悩んで、こちらにしました。

クリムト展で購入したクリアファイル

図録

クリムト展の図録 

表紙を開けた瞬間から、これは購入してよかった!と叫びました。心の中で。
こちらで通信販売もあるようです。中身も少し紹介されています。

図録は表紙が二種類ありまして、私が購入した『ユディトⅠ』と、『女の三世代』バージョンがあります。ちなみに、『女の三世代』版は特設ショップと、東京都美術館内のミュージアムショップでのみ発売とのことです。

ガチャガチャ

特設ショップを出たところにありました、ガチャガチャ。1回500円ということで、展示を見る前はためらっていたのですが。
『ベートーヴェン・フリーズ』の原寸大複製に感激し、やらずにはいられませんでした。

千円札を500円玉2枚に両替する機械もありました!

クリムト展のガチャガチャ

左のモチーフは、正しくは↓こういう形で描かれていました。

最初、原寸大複製を見たとき彼女の髪の部分だけに目がいってしまい「なんだろう??ウツボ??」と。

クリムト展
見えませんか?見えないか……。

 

国立新美術館のウィーン・モダン展で見られるクリムト関連の作品について

ウィーン・モダン展は、絵画・家具・洋服・建築といった様々な角度から19世紀〜20世紀初頭のウィーンに関する展示で構成されています。まるで、その時代にタイムスリップしたような感覚でした。

クリムト関連だけでなく、素晴らしい作品が所狭しとありますので個人的にはとてもおすすめの展覧会です。ここでは、どんなクリムト関連の作品が見られるかについて書こうと思います。

 クリムトの弟が手がけた額縁

東京都美術館のクリムト展でも、クリムトの弟・グスタフが手がけた額縁を見ることができました。『ユディトⅠ』、『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』。
国立新美術館では『パラス・アテナ』が見られます。


パラス・アテナの右手に握られているのが、ヌーダ・ヴェリタスなんだそうです。

素描

東京都美術館にも素描が展示されていましたが、個人的にはぜひ国立新美術館の素描も。こんな大胆な素描が!と思うものも含め、見ごたえがありました。

 

ハンス・マカルトの作品

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によってウィーンに招聘されたマカルトは売れっ子の肖像画家となり、また彼のインテリア・スタイルを真似する人たちもいたとか。

しかし、マカルトが44歳の若さで死去したためマカルトに任せるはずだった仕事の一部がクリムトたちの芸術家カンパニーに委託されたそうです。それがウィーン美術史美術館の壁面装飾の仕事だったとか。

若かりし頃の作品

こんなにも、絵っぽい絵を描いていたのか!と(なんだその感想)。クリムト独特の世界観が生まれる前の作品も素晴らしかったです。

なんとも言えぬキツネの表情、ぜひご覧頂きたいです実物を。

 

11年後のエミーリエ

クリムト展に『17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像』が展示されていましたが。ウィーン・モダン展では、その11年後のエミーリエの肖像を見ることができます。

あの服の実物が!!


嬉しそうに猫を抱くクリムト。彼が着ている、その実物を東京展では見ることができます!

その隣には、エミーリエの衣装の複製が。

二人の写真なども展示されているので、しばし彼らの関係について思いを馳せておりました。

クリムトからエミーリエにプレゼントされたもの

クリムトの死後、エミーリエはクリムトに関するものを廃棄してしまったとか。ただ、この櫛が残っているところを見ると本当は捨てたくなかったのかな、とか。
当時から有名だったクリムトが亡くなり、もし自分の身にもなにかあった場合、手紙などを残しておくと家族や後世の人達の目に自分たちの大切な思い出が晒されてしまうという気持ちだったのか。

しかし、クリムト展の図録には1970年代末に400通近い葉書などのコレクションが見つかった、と記載がありました。廃棄したのは一部で、クリムトからの手紙などで特に手元に残しておきたかったものは大切に残しておいたのかしら??

クリムトの完成した作品だけ取り上げるのであれば、やはりクリムト展の方が展示数も多いのですが。ですが、ですが、彼の生きた時代、彼のウィーン分離派での活動の一端、若かりし頃の原画(もうこれが!素晴らしい!)も見られますし。出品目録をみていただければ、もうこれだけの規模のものをいっぺんに見られそうにないことがお分かりいただけるかと思います。

お時間があれば、ぜひウィーン・モダン展へもお運びいただければ、と思う今日このごろです。

 

 

ABOUT ME
コアラ
館ファン倶楽部の管理をしているコアラです。 週末は映画館か美術館にいることが多いので、家族からは「今日はどこの館(かん)へ行くの?」と聞かれるようになりました。 皆さんのお役に立てるような館情報を提供していけたらなと思っています。

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